【GA文庫】ライトノベルの賞に投稿した話 - 25歳ニートが35万円で上京を企むブログ
読んだ。"今はどれだけ落ちぶれていても小説家になりさえすれば報われると思った"とか、この人は僕かよ…と思って、途中読んでてつらくなった。
僕の場合は漫画家だった。大学時代に就職活動をするでもなく、卒業後よりによって漫画の専門学校に進学した。何故か六本木にある、1年制の学校だった。
六本木ヒルズまで徒歩10分、中国大使館まで徒歩4分という、ワケの分からない立地にあったその学校。選んだ決め手は、学校名に「漫画」や「アニメ」といった、いかにもな言葉が組み込まれていない点だった。
僕は絵を描くのが得意でも、好きでも無かった。大学在学時に一作も描いたことがない。じゃあなんで漫画家になろうなどと、あるいはそんな学校に進んだのかというと決まっていて、天才だと思っていたからだ。クリスマスイヴに書くことじゃないのは重々承知している。でも仕方ないじゃないか、天才だと思ってたんだから。
専門学校では人並みに漫画に取り組んだ。1年の間に2作仕上げることが課せられている学校で、そういう学校は意外と少ないらしいことを後で知った。僕は在学中に1作しか仕上げることができず、卒業後もう1作描いて、出版社に持ち込みをした。
持ち込みをしただけだ。持ち込みをして、そこからどうということは無かった。担当が付くでもなく、アシスタントに通うでもなかった。描いた漫画がつまらなかったのだろうか?つまらなくなかったと思う。漫画家になっていた学校のOBに褒められたくらいだし。リップサービス?知らん、褒められたんだ。
僕は専門学校で知り合った友達と3人で、ルームシェアを始めた。西武池袋線の、埼玉と東京の境。僕はまだ、漫画を描く気があった。友達2人は、どんどん描いていた。
1人は施設の警備をしながら漫画を。もう1人はアシスタントをしながら漫画を描いていた。休みの日は2人とも12時間近く机に向かっていたように思う。1人は賞を次々とって賞金ハンターみたいなことになっていたし、1人は作画でプロになり、今では単行本も複数出している。
そんな中、僕は描かなかった。描ける気がしなかった。描こうとすると、首が痛くなり、頭が痛くなった。そして気づいた。ああそうか、僕の「好き」は、消費する側の「好き」だったのか。
消費する側の「好き」だったんだ。絵を描くのが好きなわけじゃないし、物語の設定を作るのが得意なわけでもない。どうしても描きたいテーマなんて無かったんだろ?誤謬だ、漫画家になろうとする選択が誤謬だったんだ。
誤謬だったんだ、漫画家になろうとする選択が誤謬だったんだ。僕の存在は誤謬だし、世界のあり方が誤謬だったんだ。こうやってブログに文章を書いている今、自分に何がある?同年代の友人が手にしている幸せのうち、何なら手元にある?
先月、猫が死んだ。大学生の時に僕が拾って、実家で飼うことになった猫だった。親父の前で「ニャー!ニャー!」と2回鳴いて、コテっとなって死んだ。
あの専門学校は取り壊されて、今はもうない。経営難で解体されて、駐車場になったんだ。僕は仕方なく働いている。今日も仕事だ。心から働きたくない。
この街の風上に火をつけて火の海にしたら、どんなに綺麗だろう。今日はクリスマスイヴですね。皆さま、素敵な一日をお過ごし下さい。
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