『東京タラレバ娘』は、33歳の女性脚本家が主人公のラブコメディ漫画。作中では、仲のいい女友達3人が、居酒屋でタラレバ話で盛り上がる。恋も仕事も上手くいかないアラサー女性の悲哀を、テンション高い東村ギャグで描いている。
東村漫画は笑える。タラの白子やレバーがゆるキャラ化し、泥酔した時だけ主人公の話し相手として現れる。『ひまわりっ』の時のように、突発的に長々とコントに入ることは無いけど(1巻の時点)、深層風景のコマでは急にバズーカを撃ったり相変わらずだ。
しかし、この作品は過激な印象を受ける。いつもの広く受け入れられる絵柄かつ半ばギャグ漫画なのに、なぜこんなに「やりやがったな」という感覚を覚えるのか。ちょっと考えてみた。
主人公も作者も女性
”非モテ”をテーマにした漫画は多いけど、多くの場合主人公は男だ。まあ『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』(以下『ワタモテ』)のような例もあるけど、『ワタモテ』の場合、ネームは男性が描いている。
『モテキ』もパッと思いつく。この作品は”モテ期”を描いているわけだけど、実際に描写されるのは主人公がモテきらないサマだ。
この作品の場合、女性作家の久保ミツロウが、主人公に男を据えて描いている。久保はかつて応じたインタビューで、こう応えている。
男の人が共感してくれると思って描いたつもりはあんまりないんですよ。童貞の男を表現しようという気持ちではあまり描いてない。なんか、せっかく自分がモテない人生を送ってきたなら、それをネタにしたマンガを描こうかな、でもモテない女の子が主人公のマンガなんて絶対誰も読まないし。ということで、男と女を逆にして描いてみようと思ったんです。
インサイター : 話題の漫画『モテキ』作者・久保ミツロウ氏インタビュー(前篇)
久保は、”モテない女の子が主人公のマンガなんて絶対誰も読まない”という認識の元に『モテキ』を描いた。勿論この作品は積極的に笑いを取りに行く漫画ではないので、『東京タラレバ娘』『ワタモテ』とは目指すところが違うのだけど、”非モテ”をテーマにした場合、男性主人公の方が描きやすいのは想像に難くない。
『東京タラレバ娘』の場合、厳密には”かつてモテたがこじらせてモテなくなった女性”が主人公なので、ずっと非モテなわけではない。しかし、なぜ非モテなのかを分析し、攻撃して笑いをとるような漫画に置いて、”非モテな女性主人公を同性の作家が描く”という例は、あまり無いように思う。
自虐じゃないという点
この漫画のキャラクタには、明らかにモデルがいる。それはあとがきでも描かれている。
エッセイやキャラクタにモデルがいる作品の場合、自分を主人公にしてしまったほうが楽だ。なぜなら、自虐であればコントロールできるから。
他人のことをネタにし、それを笑いにしてしまうと、どんな反応が返ってくるか分からない。それは怖いことだと思う。
これを防ぐ為に、実際にはモデルがいても作品では性別を変えたり、カモフラージュしていることが多い。
また、自分のことをモデルにした場合も、性別を変えれば自分との距離ができる。「これは自分だけど自分じゃない」と思えれば、羞恥心も薄まる。
著者の東村アキコは、美人漫画家で通っている。既に結婚(再婚)しているし、子供もいる。その子供を主人公にした『ママはテンパリスト』も人気作だ。トーク力にも定評がある。
間違いなくモテてきた人生だろう、ギャグ漫画家として稀代の才能でもある。
この漫画は周りの友人をモデルにしつつも、自虐要素の低い漫画だ。あとがきでのエクスキューズがあるとはいえ、「やりやがったな」という感覚は、ここに起因している気がする。
他人の”モテない”をいじれるのは、モテる側の人間だけなのか問題
大人になって思うことに、「ブスをブスと指摘するいい歳した男はみんなルックスがいい」というのがある。いや、太っていてもハゲていても「ブス」とは言えるのだけど、その場合は前置きが必要になる。
例えばボクだったら「私みたいな者がこんなこと言うのは大変恐縮なんですけど〜」という前置き。だって、返ってくるから。「そういうあなたはどんなツラしてるんですか?」という視線、あるいは自意識が返ってくる。
中学や高校の頃って、男はわりとひと笑いの為に、女子をブス呼ばわりしてた。だけど、段々とそれは淘汰されていく。「そういうあなたはどんなツラしてるんですか?」というブーメランが返ってくるので、大人になるまでに多くの人が前置き無しではブスをブスと指摘できなくなる。
同性のことは攻撃しにくい。笑いを取るためとはいえ、「仲間を売る」といった色合いが生じやすい。実際、作中でアラサー女性3人組を攻撃するのは、イケメン高身長のモデルだ。こいつは「あんたらはもう女の子じゃない」と指摘し、「行き遅れ女の井戸端会議」と言い放つ。
しかし、この台詞を考え漫画を描いているのは、結婚もし、才能もある、美人漫画家なのだ。
最初から持ってないのはつらくない。途中で失うからつらい
生まれた時から目が見えない人が不幸かって考えた時に、そんなことはないと思う。なぜなら、本人にとってはそれが普通の状態だから。仮にいつか少しでも視力を得られる可能性があれば、そこには希望しかない。
しかし、ずっと目が見えていた人が、ある日視力を失うとしたらどうか。それはとてもつらいことだと思う。苦しいことだ。
『東京タラレバ娘』の主人公たちは、かつてはおそらくモテていた。しかし、年齢の経過と共にこじらせ、モテなくなり、持たざる者になろうとしている。その点、『モテキ』や『ワタモテ』の主人公とは違う。きっと、先に見える希望の光の見え方が。
…ちょっと大げさだし語弊もありそうだけど、そう考えると、アラサー(ていうか33歳の)女性を主人公に”非モテ”を描くというのは、その設定自体がわりと残酷なのかもしれない。
まあ、だいぶアダルト展開ながらも、1巻の最後はちゃんと少女漫画してるけどね。
ともかく、この漫画はいつもの絵柄で東村ギャグだけど、意外と挑戦的な作品だということを感じたのです。
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