必需品日記

安全ではありません

政治と宗教と野球の話は

数年に一度しか開催されないシナリオの賞があって、以前出し損ねたのを苦々しく思っていたので今回出した。もうこれは出しただけで満足なので終わりだ。出せてよかった。

小説は一人称と三人称があるが、シナリオは基本三人称になる。柱(場所)を設定して、ト書き(状況や人物の動作など)と、台詞を書く。ずっと神様の視点で書く。とてもシンプルだと思う。

ブログで日記よりの文章を書く時は、あったことを思い出して基本は時系列に書いていく。それをエッセイよりというか、もう少し人に楽しんでもらいたかったら時系列をいじったりすることになる。
事実を羅列するのに近いのが日記で、事実を組み替えたり色を塗ったりするのがエッセイかな、わからんが。

一人称の方が感情が乗る。愉快な時は愉快に、悲しい時は悲しい感じに、自分がなる。俺はそっちの方が楽しいのだけど、三人称の方がすべてのキャラを冷静にみれるし、コントロール出来てる気がしないでもない。その方が他人には伝わるのだろう。

最近は人と喋っていないので声帯の筋肉が弱ってきた。早いもので、仕事を辞めて一月半が経つ。こういう状況下で無職というのは若干気がひけるところもあるのだが、無職でも生きているだけでそれはすごく価値があることだ。胸を張って生きていくし、この世に異論は存在しない。

子供の頃、テレビで芸能人がゴルフに興じていたりすると、これの何が面白いんだと思っていた。しかし歳を重ね、気づいたらゴルフを楽しんでる友人もいたりで、やってみると意外に面白いことというのは多いのだろう。野球なども、贔屓のチームを作ってファンのみんなで応援するのは、一体感があって楽しいんだろうなという気もする。

Twitterで、ハッシュタグをつけた法改正に対する抗議が起こった。だいぶ前にネット署名した案件だったので、ここに来てかという気もしたのだが、その間にあったマスク2枚やお肉券や星野源とのコラボ動画で、多くの人が怒りを蓄積していたんだと思う。

野球やサッカーで贔屓のチームを俺は持っていないのだけど、ファンにもデータ派と感覚派が居て、前者は当然データを語りたがり、後者は数字ではなく試合の空気みたいなもんを楽しむ。もちろんどちらか一方ではなく両方の性質を幾らかずつ合わせ持つことになるのだけど、わりと政治もこういう側面があるなというのを今回感じた。

「政治と宗教と野球の話はするな」は古くから言われてるが、本来は頭に「商売をするのなら」が付くという話もある。「商売をするのなら対立する話題は出すな」。まあそうだなあとは思う、きゃりーぱみゅぱみゅも燃えたし。でも、商いを職にしている人ばかりではない。それに、現代はネットとリアルで付き合いはイコールではないわけだし、そう考えるとこの時代に政治の話をネット上ですらタブー視し過ぎるの、なんか違う気がするんだよな。宗教はともかく、大人が政治の話をできないのって、ちょっとだめな世界だと思う。