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安全ではありません

実家の猫が死んだ

実家の猫が死んだ。トラという名前だった。母親から「今日のお昼頃死んじゃったよ」ってメールが来た。

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こういうことブログに書くのは多少の抵抗ある。「感傷に浸って気持ちよくなりたいんじゃないの?」っていう、2nd自分の声も聞こえたりする。

だけど、琴線が刺激される出来事ってそこまで多くないし、そういうことがあったら記録したいとも思う。なんにしろ悲しいは悲しい。


拾った猫だった。大学の夏休み、近くの木材工場に置いてある丸太の下に捨ててあった。段ボールに入って5・6匹いて、「いっぱいいるなあ」と思うだけで通り過ぎた。

2回目その前を通ったら、1匹しかいなくなってた。どこかに逃げたのか、車にひかれたのか。あるいは凄く田舎なので、他の子猫はイタチとかに食べられたのかもと思った。昔飼ってたニワトリがイタチに食べられちゃったことあって、不安になって拾って帰った。結局、そのまま実家で飼うことになった。

小さい頃、妹が何回か猫を拾って帰って来たことがあった。本当によく犬猫が捨てられていたように思う。まあ田舎だからな。当時は実家で犬を飼っていて、だから妹が猫を拾ってきたときに母が「うちでは飼えないよ」って伝えた。でもそのあとの言葉が想定とは違った。「そしたら奥のおばあちゃんの家に捨ててきなさい」。

”奥のおばあちゃんの家”は、田舎である僕の実家からさらに2キロほど奥、別な言い方をすれば、「2キロほど山を登った場所」にあって、こんなとこに人住んでんのかよというそういう家だった。その家の開けっ放しの玄関に妹は猫を捨てに(忍び込ませに)に行った。2回行った。つまり、2匹その家に置いてきてた。

結果、奥の家のおばあちゃんは2匹、猫を飼うことになった。「それってどうなの…」と子供心に思ったけど、おばあちゃんは寂しさ薄まったみたいだし、良かったといえば良かったのかもしれない。

そんな奥の家のおばあちゃんももう亡くなった。亡くなって5年くらい経つ。サヨナラだけが人生か。


トラは、父と母の緩衝材としての役割も担っていたように思う。僕も妹も実家を出てしまってから、二人の間に居たのはトラだ。彼のおかげで、ケンカにならずに済んだこともあったんじゃないだろうか。

4年前に母が悪性リンパ腫に、去年父が胃癌を患った。長期間の入院の間、一人で生活しなきゃいけない父と母、一緒に居たのもトラだった。


彼が居なくなった今、父と母のことを考えると別な存在が必要かもしれない。母は一日中泣いていたようなので、しばらくは飼いたくないって言うかもしれない。だけど、僕は代役が必要だと思う。

年に2回くらいしか実家に帰らないのだけど、帰ると僕に擦り寄って来て、その度に父が「やっぱお前のこと覚えてるんだな」とか言ってきた。思い出すと悲しい。


実家に帰る楽しみが一つ減った。さよなら。向こうでも楽しくやってください。

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