必需品日記

安全ではありません

20200519

ここ暫くはTwitterのタイムラインに政治の色が強くなった。これが嫌な人がいるのはとても分かるが、個人的には学びはあった、きがする。なんかそういう感触をばーっと書きながら考えていきたい。

・怒りはタブー?
現代社会は怒りを分かりやすい形で放ってしまう人は不利だ。不利というか、淘汰されつつある。どんなに腕力があっても殴ったら傷害罪だし、声を荒げて怒りを表出させればパワハラになる。
「怒りを見せることは下品なことだ」と考えている人が一定数いる感じもある。それはかつての自分自身にもたぶん当てはまる。急に怒られると怖いし、ビクッとしてしまう。誰でもそうかもしれんが。
うちは父親が脈絡なくキレるタイプで、妹も言っていたが急に怒鳴ってくる奴が苦手だ。だけど稀にいる理不尽をぶつけてくるタイプに対してはそれを上回る理不尽をぶつけ返すことで解決できることがある。もし殴られたら対象の眼球だけはえぐる、そういう心意気で生きていきたい。
怒りを見ないようにしていると、ある日爆発してしまったり、心を病んでしまうというのはよく言われることだ。その許容量は人によってまちまち。怒りをタブー視しすぎるのは自分を追い込んでしまうのでよくない。
とはいえ、怒りに身を委ねて踊っている感じに映ると、やはりバカに見えてしまう。バカに見られてしまう。「バカに見られたくない」は発言を躊躇する大きな障壁なので、馬鹿踊りをしている人を見て「ああは成りたくない」と考えるのは当然なこと。とはいえ、馬鹿踊りって楽しかったりもするし、当人はバカと見られることを覚悟で踊っていることもある。賢い人は色んな言葉で言い換えるけど、「バカに見られたくないだけじゃん、でもそりゃそうだよね、そりゃそうだよ」と思ったりもした。俺もバカに見られたくはない。

・賢い態度
指原のワイドナショーでのコメントが話題になっていて、掻い摘むと「知らない、分からないからコメントしなかった」。いや、もっと誰にも嫌われない言葉で分かりやすくそれを伝えているし、当然というかそりゃそうだよなと思うんだけど、これが賢い態度とされてしまうのってとても現代的だなと思った。「知らない、分からないからコメントしない」、これ自体は沈黙は金と言えるけど、TVでコメンテーターがこの発言をすればそれは主張になるし、「動くな、実行するな」という逆の形での扇動にもなる。にも関わらず「賢い判断」と賞賛されるのは、現代の空気としてはとても分かるのだけど、俺は違うと思うんだよな。ちゃんと調べて、考えて、発信することこそが知性じゃんか。「調べられなかった、だから迂闊にコメント出来ない」は判断として正しいけど、それを賞賛するのは違うと思う。
Twitterのタイムラインに流れてくる意見にも「詳しくないのなら発言するな」というものはあり、そんなハードル上げなくてもいいやんけと俺は思った。あと詳しさの許容値にも個人差はあり、「この点数をクリアすれば詳しい」と言えるようなもんでもないため、そこを厳格化していくと、その筋の専門家以外は誰も発言出来なくなる。表現の自由がある以上、どんな稚拙な意見でも放つことは自由だし、したい人はすればいい。
指原のコメントの後にEXIT兼近もコメントしていて、自分の場合はそっちの方が好きだなと思った。もちろん自分の意見に近いからそう感じたのだろうけど。「バランス感覚がある」のは現代の賢さの最低条件というか、それがないと「空気が読めない」となってむしろ排除されるのだけど、バランス感覚がある人が時に空気を壊してでも発言するのって、俺はかっこいいと感じるんだよなきっと。

・議論に参加しない自由
書きながら考えをまとめているのだけど、とはいえ、議論に参加しない自由は守られるべきで、「その場合は徐々に民主主義は失われていく」としても、守られるべきだと思う。だって、どんな状況でも政治に興味が持てない人や場合はあるし、あるいはバカに見られたくないし、もしくは変なことを口にしてしまうのって恥ずかしい。
俺がたまに政治的主張をする時って、それについて調べていたり、感覚的に絶対違うと感じてる時だけで(絶対は絶対に無いが)、そうでなければ参加しない。やはりいくら調べたって後から考えたら間違っていることはあるし、主張するのは恥ずかしい。でも、感覚的に違う時は違うと言わないと多くの場合嫌な感じになる。政治関係なくても。嫌な感じになるのが嫌だから仕方なく主張する、そんなテンション。
ただ、しばらく前に書いたブログの記事でまとめたかったことなのだけど、政治って娯楽の要素もある。政治が本当に好きな人っていて、あの人らは趣味が政治と言っても過言ではない。政治ファン。だから野球とかゴルフと同じようなもんだとまとめようとして、いやもっとややこしいなとなり、保留にした。しかしあるよ娯楽の要素は。俺だってもっと詳しくて、政治に興味があって、より政治を自分ごととして感じられて、怒ったり主張が得意だったら政治ファンになっていたかもしれない。さらに歳をとって、羞恥心が弱まり、怒りの表出に抵抗がなくなったら政治ファンになる可能性はあるのだ。あと時間か、老人が政治に関心が高いのって、暇だからかもしれんな。若いと忙しいから政治を自分ごととして感じるのって難しい。「自分ごととして感じにくい」は議論に参加しない理由としてでかそうだな。
あと、まあこういうのもなんだが、政治についてたいして詳しく無い奴が熱く語ると「やばい奴だと思われる」のもある。詳しい奴が語り出しても「ちょっとやばい奴」みたいな空気になるし。俺は基本的にそういう人を面白いと感じるのだけど、あの空気、ああまた空気とか言いだしてしまった。

大衆が大きく動く様って、「かつて日本は雰囲気に流されて戦争を〜」的な恐怖があるのかもしれない。しかし今回のハッシュタグ運動は政府批判だから、その恐怖とはむしろ逆のはずなんだが。てか結局何を信じているかの話で、政治の話はそのレイヤーがとても多いのだろうな、何重にもなっているということはいくらかわかった気がする。レイヤーの数だけフックがあって、どこかでひっかけてしまう事が多いから、あんまみんな話題にしないようにしてるんだろう。
まあ面倒くさい話題だという事への理解は進んだわ。とはいえ「言いたい事も言えないこんな世の中じゃ、ポイズン(古い)」なので、言いたくなったら口にしていこうかな。