面白いバージョンと真面目バージョン

夜中にツイキャスというネット放送を聴いていた。Twitterでフォローしている面白ツイートをする人の放送だった。

「面白ツイート」と書くと途端に絶望的につまらなく感じられるわけだが、その人はなかなかお喋りが上手で、快適に聴くすることができた。ツイートやブログの文章が面白くてもみんながみんな喋りが上手いわけではないようで、当たり前だが書くことと喋ることは違うんだなと思う。疾走感のある文章っていうんですか、勢いでスピーディに書ける人は滑舌が悪くない限りは大抵喋りも面白いような気がする。

ネット放送の良いところの一つは、チャットで放送主と視聴者が繋がれるところだ。放送主がリアルタイムでそれを拾い、視聴者もコメントさえすれば放送のちょっとした当事者になれる。喋りでいったらそれで食べているパーソナリティには勝てないにしても、視聴者が放送に参加する敷居の低さがその辺をカバーする。TVやスポーツを観戦しながら実況するような楽しみでもいいし、放送主とやり取りできる楽しみでもいい。とにかくそういう手軽さがネット放送のよいところなんだと思う。

そのツイキャスでは放送主が暫く下ネタ中心のトークを繰り広げた後、リスナーに対し「自分のことをカッコイイと思う瞬間は?」というお題を出してきた。ベタなお題な気もするが、各々思いついたことを書き込み、そこそこ盛り上がった。その後お題が変わり「思い出すとうわぁとなるカッコ悪かった瞬間」というものになった。俺は書き込んだ。

「10代のころ好きだった娘に告白する際に『面白いバージョンと真面目バージョンあるけどどっちがいい?』と聞いてから告白したことがある」

思い出したものを「ウケるかな」という軽い気持ちで書き込んだのだが、書き込み終わったあと思いの他「うわぁあああああ」という心境になった。まだ気温も暖かくストレスもさほど無い状態の今日だから良かったようなものの、一歩間違えればスポーツシューズに履き替えて夜中に4・5キロ走らなければいけない案件だった。危ないところだった。

しかし恐ろしいな10代。当時ちゃんと2パターン考えて立会いに望んだんだと思う。「じゃあ真面目な方で」と言われたからシンプルな言葉を口にしたわけだが、面白いバージョンで望んでいたなら思い出すごとに手首を切りたいそれどころか手首ごと切り落としたいという衝動に駆られていたかもしれない。

あれから十数年。この歳になるとそんな闇の儀式どころか、告白という形態をとって異性と付き合うこともそう無いんじゃないだろうか。闇儀式は黒歴史とされ、ブラックボックスに格納されて意識の深くに封印される。けど何かがきっかけで、ふわっと顕在意識に上がって来て灰色の花が咲く。灰色の花が呻く。「うわぁああああ」って。うわぁああああって呻く。眠い。